「聴診器をベッドサイドで使いこなそう」

(社)臨床心臓病学教育研究会理事長  
アリゾナ大学医学部客員教授  
近畿大学医学部客員教授  
階經和  
  
はじめに:  

1816年にフランスのレネック( Rene T. Laennec)が世界で初めて、自作の木製聴診器を臨床に応用したのが、聴診器のはじまりである。それ以後およそ二世紀の間に医学は長足の進歩を遂げた。循環器領域のみならず、臨床医学のあらゆる分野で、電子工学技術の応用は目覚しく、超音波検査に代表される画像診断や、放射線分野のCTスキャン、MRI検査などの診断機器は、短時間に従来の診断法よりも遥かに優れた診断の正確さを示すに至った。
その結果、医師の中には身体診察で十分診断できる患者に対しても、ハイテク機器を診断に使うのが当然だと考える、所謂「ハイテク依存症」と呼ばれる人達が増えてきたことは残念だ。これらハイテク技術を駆使した診断法を先行させる結果、綿密なベッドサイド診察を行う手技を軽視するか、もしくは無視してしまうという、本末転倒の現象が起きている。これでは医療の現場での人間的なコミュニケーションは存在しない。残念ながら医療先進国アメリカでもこの傾向が見られる。臨床の基本は、飽くまでもベッドサイドで患者の目を見て話を聞く医療面接から始まり、視診・触診・聴診へと続く一連の診察手技を完全に習得することである。
 話をはじめに戻すが、過去半世紀の間に、実に様々な形状と材質による聴診器が開発されてきた。私も多くの聴診器を診察に使ってきたが、聴診精度に関しては何れも大同小異であった。ところが最近、ケンツメディコ社から開発された心音を立体音として捉える聴診器「ステレオフォネットSX 178」を入手し、従来の聴診器はなかった聴診に対する魅力を再発見したのである。心音とは患者の臓器が語りかける「臓器語」(organ language)である。患者が自らの症状を訴える「日常語」(spoken language)を通して、医師はコミュニケーションを図る。そして胸痛などによる表情の変化や、拳を握り締めて胸におく仕草は「身体語」(body language)である。医療者はこの「臨床における3つの言語」を理解しなければならない。如何に時代が変わっても聴診器が臨床現場から消えることはない。医療に従事する診察手技に自身を持ち、魅力を感じることが大切だ。この聴診ガイドブックが、皆さんのご参考になれば何よりの喜びである。


【ベッドサイドにおける聴診の実践】
 

A.聴診に際して注意するポイント
 聴診はベッドサイドにおける心臓病患者の診察で最も大切な臨床手技であり、医師のみならず看護師や医療関係者が必ず修得すべき技術である。しかし、ここで注意しておきたいことは、解剖学的な各弁膜の位置と、聴診上の弁膜の位置が必ずしも一致しないことである。それは心音・心雑音の発生のメカニズムが生理学的な血行動態の変化によって起こってくるからである。視診・触診・聴診は高齢者の診療や在宅診療には、最も簡単でしかも重要な検査法と考えられる。ここでは聴診だけについて考えてみよう。ステレオフォネットの使用も考慮にいれて解説することとする。

1.静かな部屋で患者も検者もリラックスし、聴診時に共に呼吸を止めて聴く。(これを実行するだけで聴診の精度は20%向上する。)
2.聴診器のチユーブが硬く、長過ぎないものを選ぶ(50cm前後が良い)。
3.聴診部位をよく知り、イャ・ピースが耳に密着したものを使用する。
4.心音の聴診部位を正確に理解しておくこと(大動脈弁部位、肺動脈弁部位、三尖弁部位、そして僧帽弁部位を正確に知っておくこと)。
5.チェストピースの左右をまず確かめること(イヤー・ピースを耳にいれ、指先で軽く、「ステレオフォネット」の右から左、或いは左から右に膜面を擦ることで、ステレオ効果を確かめる)
6.心基部(大動脈弁部位・肺動脈弁部位では、必ずS2はS1より大きく聴こえる)。
7.心尖部(僧帽弁部位では、必ずS1がS2より大きく聴こえる)。
8.肺動脈部位でのS2分裂の有無(患者の吸気時期にS2の分裂が聴かれ、呼気でS2分裂が消失するのは、呼吸性分裂あるいは生理的分裂である)。
9.肺動脈部位で呼気・吸気に関係なく分裂しているのは、異常分裂(完全右脚ブロック=0.08秒以上、或いは心房中核欠損によるII音の固定性分裂=0.05秒)である。
10.心雑音が収縮期か?拡張期か?を知ること(S1からS2の時間は、S2から次のS1までの時間よりも短い)。
11.心雑音の最強点を知ること(その直下に器質的変化がある)。
12.心雑音が収縮期ならば、そのタイミングが収縮早期・中期・後期かを鑑別すること。同じことが拡張期(早期・中期・後期)にも言える。
13.心雑音の強度を知ること(Levineの分類でI/VIからVI/VI度まで)。
I/VI 度:非常に小さな雑音で初心者には聴こえない
II/VI 度:慎重に聴くと雑音として聴くことができる
III/VI 度:初心者でも大きな音量として聴くことができる
IV/VI 度:雑音も強大で、胸部の触診によりスリルを触れる
V/VI 度:胸壁から聴診器を部分的に離しても雑音が聴かれる
VI/VI 度:胸壁から聴診器を離しても雑音が聴かれる

14. 聴診には「呼吸停止テスト」「体位変換テスト」などを試みること。
15.聴診中は、撓骨動脈か正中動脈の拍動を片手で触れること(動脈拍動は収縮中期に触知できるので、この習慣を身に付ける)。
16.必ず自分の聴いた聴診所見を擬似心音法(cardiophonetics)により、口に出し、出来るだけ心音に近い音として真似ること。
17.心音・心雑音の形状をチャートに書いておくこと(laddergram)。
18.呼吸音の聴診には、ステレオフォネットにより、吸気・呼気によって変わる微妙なクラックル音の変化などを識別することができる。

B.聴診の部位

a. 血圧測定

臨床現場では、まず患者の血圧には必ず聴診器が必要となる(その際、ステレオフォネットの膜面チェストピースの中心線を正中動脈に対して直角にしてカフの下縁に挿入すると、カフの減圧によりコロトコフ音を鮮明に聴くことが出来る。特に第二相における血流音が明確にステレオ音として聴くことができる)。では心臓の聴診に移ろう。

b. 頸動脈の聴診


 聴診は高齢者では特に重要であり、最近、ふらつきや、眩暈、頭部を左右に振った時に倒れそうになったとか、頭軽感を訴える患者の場合は「頸動脈狭窄」のあることが考えられるため、左右の頸動脈上に聴診器を置くと「収縮期の血管雑音」を聴くことができる。高度の場合には持続性血管雑音を聴く。また「大動脈弁狭窄」の場合には、大動脈部位から左・右頸動脈部位にかけて「収縮期性血管雑音」を聴くことができる(この際も血管の走向に直角にステレオフォネットの膜面チェストピースを当てると、右から左、あるいは左から右、へ血流雑音を聴くことができる)。

c. 大動脈弁部位(上・下)の聴診




 大動脈弁部位(上):(第2肋間・胸骨右縁)で、まずI音(S1)とII音(S2)の関係に注意すること。正常ではII音の方がI音より大きく聴こえる。「大動脈弁狭窄」では上図の聴診部位から頸動脈部位にかけて収縮中期の駆出性雑音を聴くことができる。 この際も血管の走向に直角にステレオフォネット膜面型チェストピースを当てると、右から左へ血流雑音を聴くことができる)。
 「大動脈弁閉鎖不全」の場合も、解剖学的に大動脈弁部位(下)の真上:(第3肋間・胸骨中線〜胸骨左縁)で収縮期早期には駆出性雑音、そして拡張早期に(左から右へ)逆流性雑音をハッキリと立体的に聴くことができる。

d. 肺動脈弁部位の聴診


 肺動脈部位(第2肋間・胸骨左縁)ではI音とII音の関係は、大動脈部位と同様であるが、この部位で特に重要なのはII音の「呼吸性分裂」である。吸気時にII音が0.02〜0.03秒分裂し、呼気ではII音の分裂はなくなる。これは吸気時に全身から右心房への血液の還流量が増加するため、右心室から肺動脈での送血により時間がかかるためである。また健常者では「無害性雑音」もこの部位で聴かれる。


 左の図の様に吸気時と呼気時ではII音が分裂したり、しなかったりする。心基部(主に肺動脈部位に聴診器のチェストピースをピッタリと当てて聴くのが良い。「正常」では「生理的分裂」あるいは「呼吸性分裂」と呼ばれ、吸気時に約0.02秒分裂する。その他の疾患ではII音の分裂が特徴的であり、特に「心房中隔欠損」ではII音が固定性に分裂する。これは吸気時と呼気時に心房中隔の欠損孔を通る血流量が変わり、右心房から右心室への流入量が一定になると考えられているからである(しかし、厳密にはII音の分裂に僅かの差が見られる)。

e. 三尖弁部位の聴診


  三尖弁部位(第3肋間・胸骨左縁)ではI音とII音の大きさの関係は大体同じか、I音の方がやや大きい。この部位ではI音の分裂や、クリック音を聴くことがある。また「僧帽弁狭窄」で「開放音=OS:opening snap)」を聴く。膜面チェストピース「三尖弁閉鎖不全」の全収縮期雑音が吸気で増強し、呼気で減弱して聴こえる「レベロ・カルバイヨ徴候」をハッキリと聴くことができる。
 同時に頚静脈波は収縮期に一致して、吸気で大きく怒張し、呼気で現弱する減少も、視診によってハッキリと診ることができる。聴診に際しては頚静脈波の拍動や、動脈拍動の関係を確かめておくことが大切である。


f. 僧帽弁部位の聴診
          
 僧帽弁部位(心尖部=第5肋間・鎖骨中線)ではI音はII音の大きさの関係はI音の方がII音よりも大きい。またこの部位では III音、IV音を聴く事ができるが、患者を左側臥位にして「ベル型」で聴くのがよい。特に「僧帽弁狭窄」ではこの体位により僧帽弁開放音に続き拡張中期ランブリング雑音を聴くことができる。さらに中等症の「僧帽弁閉鎖不全」では、全収縮期雑音に続くIII音も聴取でき、時にスリルを触れる。なお、僧房弁閉鎖不全では患者の背部、左肩甲骨下部にも放散するので、この部位も聴くことが大切だ。
 また、呼吸音の聴診では@からHに至る順序で聴いていくのが良いが、特に肺下野の方がハッキリと呼吸音や、乾性、湿性或いは肺水腫時の混合性クラックル音をハッキリと聴くことができ、ステレオフォネットを使用すると、気管支内を通る空気の方向によって、吸気と呼気のタイミングを立体的に聴くことができる点で優れている。

g. 側臥位による聴診
すでに僧帽弁部位の聴診や、聴診における種々の体位でも述べたが、まずI音とII音の大きさを比較した後、I音の前に小さな "u"と言うようなIV音(S4)が聴こえるかどうかを知る必要がある。中高年では健常者でも約50%にIV音を聴く。これは心筋の伸展性(compliance)が低下しているためである。病的状態では「高血圧」「虚血性心疾患」「肥大型心筋症」などで聴くことができる。この際は、聴診器のベル型チェストピースを使用するのが良く、III音(S3)や、前述した僧房弁狭窄患者の拡張中期ランブリング雑音も、前述のごとく、ベル型を使用するのが良い。
また「高血圧性心疾患」「僧帽弁閉鎖不全」「大動脈閉鎖不全」や「拡張型心筋症」など左室が肥大あるいは拡張のある場合は、心尖拍動は左下方に移動する。 この場合も心雑音の他に IV音、I音、II音そしてIII音などの有無や、時には「心膜摩擦音」も聴くことができる。
心臓病患者の聴診とはあらゆる体位で患者を診察することであり、まず「I音」から聴き、つぎに「II音」を聴き、「III音」「IV音」を確かめ、そして心雑音が収縮期あるいは拡張期に聴かれるかどうか、そしてその性質などを把握することができれば十分診断に到達することができる。

h. 蹲踞位による聴診
 肥大型心筋症で「大動脈弁下狭窄」の場合は、収縮期駆出性雑音は、蹲踞位で増大し、立位で減弱するのが特徴的だが、大動脈弁性狭窄では、その所見が反対となるので鑑別診断に重要である。

i. 立位による聴診

今まで、聴診の実際の手技について解説してきたが、では次に、心臓の一心周期における血行動態について解説してみよう。

C.一心周期における左・右心系の血行動態

心臓病学をマスターするための最も基本となる知識は、臨床生理学で最も大切な「一心周期における心臓の血行動態」である。循環器学を専攻している方々には周知の事柄であるが、これから循環器学を学ぶ人にとっても、下記のイラストをマスターすれば、心臓病学を50%理解した事になると言ってよいだろう。
    (イラスト:階經幸)
心臓の機能を理解する上でもっとも大切なことは、心臓の左心系と右心系の2つの「生体のポンプ」(心房+心室=2連球)が、ほとんど同時に、収縮・拡張を繰り返し、一生休むことなく活動していることだ。

左心系 では、肺毛細管においてガス交換された新鮮な動脈血が肺静脈をと通って左房に入る。左房から左室に入った血液は左室の強力な収縮によって大動脈弁を開放し、大動脈内に入り、全身の動脈を通って全身の組織に送り出されていく。1回の心拍により大動脈内に駆出される血液量(80ml〜100ml)が左室から拍出される。左室から拍出された血液量と、全身から右房に還ってくる血液量は等しい。右房に還ってくる血液量が左室の血液量と収縮力を規定するというのが、Frank-Starlingのメカニズムである。
 心疾患を起すと、必ず心臓や大血管の血行動態に変化が現われてくる。この血行動態の変化を「臓器語」として捉えたものが、心音や心雑音の変化であり、これを記録したものが心音図である。これらの心音・心雑音が心臓の一心周期のあいだに、心電図の各部分との関係、心機図における各時相、左右の心房、心室、肺動脈、そして大動脈圧の時間的変化とどのように関連しているのかを知るため、一心周期を経時的に分析して考えてみることにしよう。

@ 両心房から血液が両心室内に送り込まれた後、心室筋の収縮力により心室内圧は上昇し、左室圧が左房圧を上回る瞬間に僧帽弁が閉鎖する(MC = mitral closure)。その直後に右室圧が右房圧を上回り、三尖弁が閉鎖する(TC = tricuspid closure)。この時相に一致してI音(S1)の主要部分が発生するが、時間的には心電図所見のQRS群の後半部分に一致する。もし、僧帽弁閉鎖不全(MR = mitral regurgitation)があれば, I音に被さるように全収縮期逆流性雑音(holosystolic regurgitant murmur)が発生する。

A 両心室の収縮により心室内圧が急上昇を続け、まず右室圧が肺動脈圧を超えた瞬間に肺動脈弁が開放する(PO = pulmonic opening)。続いて左室圧が大動脈圧を超えた瞬間に大動脈弁が開放する(AO = aortic opening)。大動脈弁の開放によってできる振動がT音の終末部分を構成する。   

@〜A  までの時間は、0.03 〜0,04秒で、この時期には心室の収縮が進行しているにも拘わらず、僧帽弁、大動脈弁(三尖弁、肺動脈弁)とともに閉鎖しており、各心室の容積は変わらないので、この時期を等容収縮期(isovolumic contraction phase)と呼ぶ。心尖拍動図では、大動脈弁開放に一致して、駆出点(E = ejection point) が見られる。

B 両心室内圧の上昇は続き、開放した肺動脈弁口部を通って血液は、まず右室から肺動脈へ、続いて左室から大動脈へと拍出される。もし肺動脈弁口部や、大動脈弁口部の狭窄、流出血液量の増加、弁上部、弁下部の狭窄、血流速度の増大があると、この時期に収縮期駆出性雑音(systolic ejection murmur)が発生する。また肺動脈や大動脈の拡張によって、肺動脈駆出音(E) pulmonic ejection sound、大動脈駆出音(E)aortic ejection soundが発生する。時間の経過とともに、両心室内圧は徐々に下降し始める。 心尖拍動図では心電図のT波の頂点に一致して収縮後期隆起(ESS = end-systolic shoulder)が見られる。

C 心室筋の弛緩が始まり、左室内圧はゆっくりと、次第に急速に下降し、大動脈内圧以下になる。続いて右室内圧も下降し、肺動脈圧以下になる。その直後に大動脈弁が閉鎖し(AC = aortic closure)、肺動脈弁が閉鎖する(PC = pulmonic closure)。大動脈弁と肺動脈弁の閉鎖は、一旦それぞれの血管内に送り出された血液の塊が、弁口を力強く打つためだと考えられている。この現象によってII音(S2)が発生する。II音は心電図のT波の終末期部分にある。もし、大動脈弁閉鎖不全があると、拡張早期逆流性雑音(early diastolic regurgitant murmur)が、大動脈弁部位から、三尖弁部位に掛けて聴かれる事になる。(ここで「ステレオフォネット」の膜面チェストピースを使って聴診した際には、三尖弁部位で最強となる収縮早期駆出性雑音が、ステレオフォネットの右から左(チェスト・ピースの向きで左から右)に雑音が聴かれ、そして拡張早期逆流性雑音が左から右に血流の方向によって立体的に聴くことが出来るのである。)

D 大動脈弁閉鎖から僧房弁開放までの時間は、約0.07〜0.10秒であり、徐々に心筋が弛緩を始めるが、大動脈弁も僧房弁も閉鎖した状態であるため、等容拡張期(isovolumic relaxation phase)と呼ばれる。

E 左室の拡張に続き、心室内圧は急速に下降する。左室内圧が左房内圧以下になる瞬間に僧帽弁が開放する (MO = mitral opening)。このとき僧帽弁周囲に硬化があると、僧帽弁開放音(mitral opening snap = OS)が発生する。この音は僧帽弁に硬化があっても、まだ柔軟性のあることを示すもので、もし硬化の程度が進むと弁の柔軟性がなくなり、開放音は聴かれなくなる。 心尖拍動図では僧帽弁開放点(O = opening point)が見られる。三尖弁開放音(tricuspid opening snap)が、先天性心疾患の心房中隔欠損の場合に聴かれることがある。  

  頚動脈波で、収縮中期に見られるのが、衝撃波(PW=percussion wave)であり、S2の直後に見られるのが、津波波(TW=tidal wave)である。

右心系 では、全身から還ってきた静脈血が、上・下大静脈を通って右房に入る。一心周期に右房に還ってくる血液量は、先に述べて通り、成人では80〜100mlである。この血液量は心臓が正常の生理的状件下で活動している限り、右室から肺動脈を通って肺毛細管に送り出されるまで変らない。

F 三尖弁が開くと右房から右室へ、続いて僧房弁が開くと左房から左室へと急速に血液が流入する。これを心室の急速充満期(rapid ventricular filling phase)と呼び、若年者では急速充満期の終末部で、III音(S3)が発生する。30歳以下の健常者では約50%にS3を聴取できる。また僧房弁口に狭窄があると、僧房弁開放(OS)から始まり心室に血液が充満するため、心室充満音(拡張中期ランブリング雑音:ventricular filling sound( murmur )が発生する。(この際も、患者に左側臥位を取らせて、「ステレオフォネット」のベル型チェストピース右を上、左を下(或いは逆)にして聴診すると、心尖部で、ハッキリと右から左に拡張中期ランブリング雑音を聴くことが出来る)。この時期の心房から心室への血液の流入は、心室内圧較差(pressure gradient)によって起こる受動的流入(passive filling)である。ここで、思い出して頂きたいのは、心臓は収縮期よりも拡張期の方が余計にエネルギーを必要とすることだ。それ実際に体験できるのは、輪ゴムを指で直径を拡大させる時に指に掛かる力は、伸びた輪ゴムが収縮する時よりも遥かに大きいという物理的な現象からも明らかである。心尖拍動図では、ちょうどIII音(S3)に一致して急速流入波(RF = rapid filling)が見られ、心室内容積曲線の上昇と平行するG。

H 心房から心室への受動的流入による緩速充満期(slow ventricular filling phase)に続いて、心房が収縮を起こし、心房内に残った血液を心室内に送り込む。この時期は心房収縮期(atrial systolic period)であり、心房の能動的収縮によって起こった血液の流入である。この時期に心房収縮音(IV音=S4)が発生するが、右房の収縮により、頸静脈波のa波が生じるI。

僧房弁口に狭窄があれば、心房収縮雑音(atrial systolic murmur)所謂、前収縮期雑音1(pre-systolic murmur)が聴かれることになる。 
心尖拍動図では心房収縮波(A = atrial wave)が見られ、直後に心室収縮開始点(C =contraction point)が見られる。三尖弁閉鎖により頸静脈波c波が生じるが、臨床的には視診によって鑑別することは難しい。v波は右房の血液充満によって生じる。右室収縮によりx谷の大部分が描かれる。y谷は右房から右室への圧較差による受動的流入によって描かれる。


 以上、1〜10 までの一心周期にける経時的な血行動態変化を臨床に必要な生理学の知識として、実際の症例に当て嵌め、頭の中で整理しながら、もう一度思い出して理解して頂きたい。
確かに心音・心雑音は僅か1秒前後で終わってしまうので、それは聴診器を使って聴かなければならない小さな音であり、最初は難しいかも知れないが、アメリカのカンザス大学医学部のドクター・バレット(Dr. Michael Barrett)が、「心音や心雑音は500回聴けば、絶対の記憶される」という論文や、彼が監修し、アメリカ心臓病学会から出版した教育資料「ハート・ソング」)(Heart Song)の中で述べている。確かに聴診は何回も繰り返し聴くことが大切だ。
 私がはじめにも述べた心音とは「臓器語」であり、心臓が検者に語りかけている臓器の言葉なのだ。心臓が毎回繰り返し話している言葉を逃さず、把握し手理解することが出来れば良いと思う。特定の患者を長時間かけて聴診することは、患者にもストレスとなるので、シミュレータで実習するのが良い。
現在、私が12年前の1997年に開発した心臓病患者シミュレータ「イチロー」が設置されている各大学医学部や、看護大学などの医育教育期間に勤務しておられる方々や、医学生も時間を見つけて自由に身体所見と共に聴診を行なって頂きたい。医師・医学生や看護師、或いは医療関係者の方々も、現在、持っている聴診器を十分に使いこなすことが大切である。聴診器のチェストピースには素材によってS3やS4などの低周波の聴診に適したものもあり、少なくとも2本の聴診器を使いこなしてみてはどうだろう。更に新しい「ステレオフォネット」を使って、聴診の楽しさと醍醐味を味わって頂きたいと願う次第である。


参考文献:
1. 階經和:DVD ブック・ドクター・タカシナの心臓病患者の診察ガイドブック、インターメディカ、2008.
2. 階經和:心臓病の診かた・聴きかた・話しかた、医学書院、2008.
3. 階經和:心臓病患者診察のベーシック、臨床心臓病学教育研究会、2008.
4. 階經和、安藤博信:心臓病へのアプローチ、第4版、医学書院、1996.
5. Barrett, MJ, Lacy, CS, Sekara AB, Linden, EA, Gracely EJ: Mastering cardiac murmur: the power of repetition. Chest 126:470-475, 2004.
6. Barrett, MJ, Kuzma, MA, Seto TC, et al: The power of repetition in mastering cardiac auscultation. Amer J Med 119:73-75, 2006.


イラスト:高階経幸   江戸川病院 放射線科部長


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